内山です.
雪が降った2月14日・15日は,
卒論発表会を17日・18日に控えた
本当に直前の週末でした.
週末の間に卒論発表会の延期が決定しましたが,
卒論発表会直前という異常事態に
さらに生活出来るかどうかの異常事態が重なり,
見ていてかわいそうなぐらいでした.
その彼らの発表も20日・21日に無事に終わり,
研究室としてはあとは論文提出が残るだけで,
3月下旬の学会発表をする人以外は
もうすぐ一息つけます.
この大雪が起こってすぐに思い出したのは
他でもない東日本大震災です.
比較は難しいですが,山梨県にとって,
一時的に大震災を超える異常事態となりました.
大震災の時は,一部の地域での停電や損壊があった気がしますが,
ただただ東北から伝えられてくる映像に驚くばかりで,
その後に計画停電と定常的な物流の滞りはあったものの,
自分たちは楽をしている,という感覚がありました.
少なくとも生活は出来ていました.
その時のことを思って少し冷静になれた気がします.
冷静に,出来ることから無理せずやっていくこと.
ただ,もちろん最初はこんな大雪になるとは思いませんでした.
当初は最大積雪30cm弱という予報もあり,
なめていました.
夜の時点で,降っている間も
雪かきをしようにも,したそばから数cmレベルでどんどんつもり,
諦めざるを得ないような状況になり,
深刻さが徐々に感じられました.
ただ,夜に一度雪が弱くなったので,
これで終わってくれるのでは,と予想しました.
15日朝になって,外を見て絶句しました.
関東近県で大雪と言っても,
大抵は外を見て綺麗だなと思えるレベルなものです.
今回の雪は,量,が余りにも予想を超えていて,
文字通り夢を見ているようでした.
facebook等で県内の方々が皆同じような状況と知り,
徐々に実感が湧いてきました.
幸い一週間前の大雪
(あの大雪でも本当にびっくりしたんです.
一生こんな雪は見れないだろうからって写真を何枚も撮りました.
一週間後にその雪をはるかに上回る積雪を見ることができました..)
の際に雪かき用のシャベルを購入していたため,
雪かきをしようという気になれました.
本当に道具は大事です.
割りと多くの方が同じような状況だったと思います.
近所のホームセンターでは,雪かき用シャベルが
14日の時点で既に売り切れていました.
積雪は1mを超えていたので,
周りの状況が分かりません.
道路を人が歩いているらしいのですが,
車が通れるような状況なのか全く分かりませんでした.
とにかくは人が一人歩ける道を道路まで作ります.
雪をかく,ということは,今回まで,
腰よりずっと下,ひざ下の雪を
ちょこっと横によけることを意味していました.
今回の雪かきは,エイヤと槍を刺すように
シャベルを雪に水平に差し込み,
自分の身長まで雪を打ち上げる,
という全く異質なものでした.
道路まで何とか出て,また唖然としました.
本当に,どこもかしこも雪でした.
道路が,どこかの公園の大きな広場に雪が降った!,
みたいな感じで,車の通った後などなく,
人が歩く道がほそぼそと連なる状況でした.
除雪について知識は誰もないと思いますが,
見よう見まね(?)でまずは通り道を作って,
自家用車の上の雪を何とか横にずらして,,,
とか何とかやっているうちに,何度目かの唖然.
雪をかく先が無いんです.
雪をかく先が既に1mを大きく超える高さになり,
シャベルで雪をその高さに打ち上げるのが困難.
雪国の方はどうされているのでしょう..
未経験なことで全く分かりませんでした.
多くの場所で同様な状況になっていました.
単純に計算して,
1mを超える積雪があった場合,
道路の半分を開けるには,
それ以外のところに2m積み上げる必要があります.
実際にあらゆる場所がそれに近い状況になり,
それ以上はどうしようもなくなりました.
これは大変だぞ,と思って一日目は終了.
スーパーは全て閉店.
コンビニは開店しているところもあるが,
ものは殆ど無い(という井戸端会議を聞く).
学生を含めて,食料を買い置きしていない
人はどうするんだろうと思いました.
テレビでは幹線道路で立ち往生する車が映し出され,
自分たちはまだ楽を出来ている,と思った気がします.
不思議なことに,雪かきをしていた街の人達は
皆明るく作業をしていました.
想像を超える状況を前にして,
笑ってなきゃやっていられない,
というところもあったかもしれません.
次の日,朝,少しは雪面が低くなったので,
道を広げていきます.
シャベルの使い方にも少し慣れました.
市からの放送があり,市民の方の除雪へのご協力を云々,
出来る範囲で頑張らねばと思いました.
雪を小学校の校庭に捨てて良いということでしたが,
車を出せないのにどうやるんだろう,
と純粋に不思議に感じました.
スーパーに電話すると10時から開店するとのこと.
行ってみると行列で,それでも開店後中に入ると,
食材が有りほっとしました.
その後,数時間でそのスーパーから生鮮食品は無くなりました.
その辺りから報道機関が街の情報を集め始め,
スーパーの開店情報がテレビに流れるようになりました.
状況は良くないが,何となく大丈夫そうだと思えました.
スーパーが日にちをずらして開店していったことが,
いわゆる「買いだめ」の防止に役立ったように思います.
3日は我慢しようと考えて,
なるべく買い出しに行かないようにしました.
落雪や道路状況を考えると外に出るのにリスクがありました.
この状況からの復旧はテレビ等で伝えられている通りです.
地域のつながりの底力を見た数日でした.
幹線道路以外の道路の正常化は,
慣れない市民の手によって行われたと言って良いと思います.
日に日に開かれていく道路を心の支えに,
ただただ,中央道の開通を祈りました.
甲府という盆地にある食料が
徐々に減っていくのを想像するのは容易でした.
一日経つと心の平衡がどんどん保ちづらくなります.
2月17日23時の中央道開通は,
関係者の方のギリギリの努力でなされたと思いますが,
あれが17日であったか18日であったかで,
安心感に大きな違いがありました.
本当に感謝しました.
東日本大震災の際に感じたことをまた思います.
研究が出来ているということは,
様々な支えのもと可能になっているのであり,
本当に有難いことなのだということ.
学生と共に,少しでも意義のある研究が出来るように
努力する心持ちを新たにした数日間でした.